翻訳と辞書
Words near each other
・ Rainbow Boys
・ Rainbow Cafe
・ Rainbow Cyc
・ RAINBOW DREAM
・ Rainbow Drops
・ Rainbow Magic
・ Rainbow Notes
・ RAINBOW POP
・ Rainbow Pop
・ Rainbow pop
・ RAINBOW RACE
・ RAINBOW RAINBOW
・ Rainbow Road
・ Rainbow Six
・ Rainbow Starbow
・ Rainbow Syndrome
・ rainbow trout
・ Rainbow-Motion-Graphics
・ RAINBOWS
・ RAINBOWSIX SIEGE


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

RAINBOW RACE : ウィキペディア日本語版
RAINBOW RACE[れいんぼう れいす]

RAINBOW RACE』(レインボウ・レイス)は、1995年5月17日に発売されたORIGINAL LOVE通算5作目のオリジナルアルバム
== 解説 ==
1995年初頭ポニーキャニオンに移籍後、同社でリリースした初のアルバム。前作『風の歌を聴け』〔『風の歌を聴け1994年6月27日発売 EASTWORLD ⁄ TOSHIBA EMI CD:TOCT-8450〕に続き、田島貴男木原龍太郎、小松秀行の3人に、佐野康夫をレコーディング・メンバーに加えたラインアップを軸に制作された。このアルバムについて後年田島が「『風の歌を聴け』はある意味新バンドで勢いがあった。だけどもうセカンド・アルバムになっちゃうと、慣れちゃってさ。ツアー終わってから、彼らはもう自分のことやりたいって抜けて。で、僕一人になったんだ」〔『MARQUEE』VOL.20(マーキー・インコポレイテッド) 2000年8月1日発行 p23〕と振り返っているとおり、バンド体制での最後の作品となった。リリース直後のインタビューで田島は本作について「『風の歌を聴け』〔は、実は制作期間がすごく短くてさ。最初はいちおう作曲のために1か月間あけてたんだけど、ギリギリになって<The Rover>くらいしかできてなくて。それで、最終的にはわりと慌てて曲を揃えていったんですよ。でもまぁ、そういう勢いもいい形で出たからよかったんですけどね」「それで、前のレコーディングが終わってすぐ、少しずつでいいから曲を書き始めようと思ったんです。次のアルバムのために。実際、曲作りは去年の5月か6月頃からやってましたね、ちょこちょこと。でも、最初は全然なんにも書けなくて。『風の歌を聴け』〔を作った直後でしょ。頭ん中が真っ白になっちゃってさ。詞を書いても全然ダメっつう感じで。だけど1、2か月ぐらい経ったら、少しずつ書けるようになってきたんです。まず最初にできたのは<夢を見る人>だったかな。あと、最後の<Bird>も同じ頃だったかな。カリプソっぽい<夏着の女達へ>もわりと最初にできた曲だったかな。去年の夏、暑かったじゃない? それで、ああいう夏っぽい曲が無性に書きたくなって」〔『月刊カドカワ』1995年6月号(角川書店1995年6月1日発行 pp.21-34〕と答えている。
プレッシャーに関しては「『風の歌を聴け』〔を作った後、いろんな人から“いいアルバムだ”って言われて嬉しかったんですけど、その反面“次はどうなるんだ”とかいろいろ言われてさ。めんどくせーなと思いつつ、なるほどミュージシャンはこうやってプレッシャーを感じていくんだろうかと思ったりして。でも、途中からどうでもよくなっちゃったの。作りたいものを作ればいいや、という気持ちになった。正直なところ、不安もありましたよ。これまでは、アルバムを作った後で“今回これをやったから、次はこんなふうにやっていこう”みたいなヴィジョンがある程度は見えてたから。だけど『風の歌を聴け』〔の後は何も見えなかった。完全燃焼したというか、頭の中が真っ白になっちゃってさ。確かにあれでひとつ目標を果たしたようなところはあったのかもしれないね。デビュー・アルバムから、あのアルバムに至るまでの過程っていうのはすごく面白かったよね。でも、今回のレコーディングでは、これまでとは違う面白さを感じたな。なんだか、アマチュア時代みたいな感じの思い入れがあったの。シンプルなコードで、いいメロディを作りたい…みたいな感じになっちゃってさ。ほとんど執念。“シンプルなコードで、いい曲”って、ひょっとしたら自分の中で今まであまりやったことのない作業だったかもしれない。だからすごく興味を持ったのかもしれないし」〔という。シンプルなものを書きたいという意識は結果的に歌詞にも出ているとし、田島は「前は“屈折したラヴ・ソング”とか言われることが多かったけど。今回の歌詞って、すごく当り前な感じがするでしょ。ごく普通の日常で、朝起きて思うこととかさ。いつも考えてるんだけど、あんまり心にも留めないようなことを言葉にしてみたりさ。そういうのが書きたかったのかな。インディーズ時代の頃に書いたメチャクチャな詞と比べると、もう北極と南極くらい違うよね。でもね、あの頃も今と同じようなことを書きたかったんだと思うんだ。でも、結果としてああいうひねくれた言葉が出てきちゃったんだよ。今はなんか、少しずつ書き方がわかってきたというか。僕のね、至らなかった部分がだんだん至ってきたといいますか」〔としている。
本作のレコーディングを振り返って、エンジニアの田中信一は「今回はとにかく生音を重視したいということで、シンセを一切使わないレコーディングになった。ドラムとベースとギターと生ピアノなどのキーボードにストリングスとか。やることはだいたい田島くんの頭の中で見えていて、それに対しての全体的なグルーヴ感を追求していく作業でした。苦労した部分は基本的にない。彼の音作りの目的がはっきりしていたからでしょうね。プリ・プロと曲作りとリハーサルとをきちんとやってレコーディングに入る理想的な形で、予定より早く終わりました」〔という。
初回盤は三方背ボックス仕様、プラケースは黒の本体に透明トレイを組み合わせたものを使用。ジャケット写真はノーマン・パーキンソンの“Bird Island”。信藤三雄によれば「本当はこういう写真を撮りに行こうと思ってたんですよ。でも時間がないので、これを借りられないかと発想を変えたんですよね」とし、この写真に惹かれた理由は「この土っぽい感じです。僕としては、ネイチャーなものに惹かれていく初期だったんでしょうね」〔『design by contemporary production シーティーピーピーのデザイン』 1996年8月30日発行 光琳社出版〕と答えている。
その後、オリジナル・ラヴは田島のソロ・ユニットになるが、その経緯を田島は「その後は…このあと『RAINBOW RACE』というアルバムを出して、ツアーが終わったあとに小松と佐野っちと龍太郎さんが脱けたんです。2年ぐらい、オレとこの3人を中心に格闘技みたいなライヴをやって、もう疲れたっていうのがあったと思うんですね。で、彼らのほうから“やめます”っていう話になったんで」と振り返っている。
M-1「ブロンコ」とM-9「ミッドナイト・シャッフル」はコンサート会場で限定販売された10インチアナログ盤にリミックス・ヴァージョンが収録された〔「Source -tasty cut record」 1995年11月発売 WONDERFUL WORLD 10inch EP:no number〕。M-4「夢を見る人」とM-5「流星都市」は後にベスト・アルバム『変身』〔『変身』 1999年3月17日発売 PONY CANYON CD:PCCA-01288〕にも収録された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「RAINBOW RACE」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.